家から外の世界(社会)へ出ていく為の、準備運動を探し続けたい。
どこにいても、誰といても、ひとりぼっちだとしても、今日目覚めた朝を、それなりに身体で受け止めたい。そして心と身体、そして家族というひとつの集合体に風通しをよくしていきたい。
これが私の願いと希望であり、創作し続ける理由である。
「“朝ごはん”を10年以上毎日記録し続けた」そんなことを話すと、「朝ごはんが好きなんて素敵ね」と言われるが、そうじゃない。昨日という日を、夜を超えた証拠を記録しているのだ。
こども時代、日本教育における、義務教育機関の9年間を自宅で過ごした私にとって、家庭=家という存在は私の身体の全てだった。家庭内で起こる家族の関係性の微力な変化や、モノ・コト・音・食事・時間などの様々なコンテンツは、沢山の情報と刺激とプレッシャーを私に与えた。学校や、外の世界へ出ることができなかった私は、小さな国(家の中)で幼少期を過ごした。そして日々ひっそりと踊りを練習し続けた。
「家庭」とは、同じ家に住み、生活を共にする人々によってつくられる生活の単位である。そこにはさまざまなルールが存在する。そして、言葉にはできない沢山のコミュニケーションや向き合い方が存在している。決して外からは見えない、個々の生き様があると思う。
もしも他者の介入が困難な場所で、立ち行かない日々が続く時、わたしたち一人一人は、どんな風に自分自身を振る舞うだろうか。どうすれば、明日(の朝)に希望を抱けるだろうか。
わたしは、いつもそんな事を考えて、踊りを踊っているのだと思う。


