
Why I Make Homemade Anko
I make homemade anko, and I offer it to other people.
It is not simply because I like anko, the sweet red bean paste found in traditional Japanese sweets, that I continue to make it.
I wash the azuki beans, boil them to remove their bitterness, and slowly cook them down, skimming off the foam and adding water as needed. Finally, I add sugar and gently stir until the anko becomes glossy.
It is simple, but it takes time.
I stay beside the pot for about three hours each time I make it.
During those hours, I imagine my grandmother, who once spent time in the kitchen in much the same way.
There were no smartphones, no easy forms of entertainment. In the midst of a busy life, she spent time alone with a kind of labor that brought no obvious profit—perhaps for someone else, perhaps for herself. I wonder what she was thinking and feeling during those hours.
I can never know that time. And perhaps that is why, while making anko, I find myself imagining the movements of her inner life that I can no longer access.
The love passed down within a family sometimes continues to arrive even when it has somehow been sent to the wrong place.
Is that necessarily a form of unhappiness?
Is something only right when it is communicated in the right way?
When I think about these things, I begin to feel that desire, too, exists alongside hope and disappointment.
The small emptiness that slips out in the edges of our conversations.
A sense of superiority that suddenly rises to the surface.
A desire we never intended to show anyone.
I want to stay with these shapeless feelings and carefully notice them through the time I spend making anko.
And I do not want to keep them only to myself. I want to try placing them in someone else’s hands.
To put a desire into words.
To offer it to someone.
To receive something in return, and welcome it into the body.
Through these small actions, I want to learn about the differences in what feels comfortable for me and for you—and to cultivate the courage to recognize and accept those differences.
For me, making homemade anko is not simply about making food.
It is a way of spending time with the things that are difficult to put into words between people, and of exploring them through the body.
自家製あんこをつくる理由について。
私は自家製のあんこをつくり、人に振る舞っている。
和菓子のあんこが好きだから、というだけの理由でつくり続けているわけではない。
小豆を洗い、渋切りをし、ひたすら煮詰めて灰汁を取り、水を足して、最後に砂糖を加える。艶が出るまで、鍋のそばでゆっくりと混ぜ合わせる。
シンプルだけれど、時間がかかる。一度つくるのに、3時間ほどかかる。
私はこの時間の中で、かつて同じように台所に立っていた祖母のことを想像する。
スマートフォンも、手軽な娯楽もなかった時代。忙しい暮らしの中で、誰かのために、あるいは自分のために、利益にはならない手仕事と一人で向き合っていた彼女は、何を考えていたのだろう。
その時間を知ることはできない。だからこそ、私はあんこをつくりながら、そこにあったかもしれない心の動きを想像している。
家族の中で受け渡される愛情は、ときに宛先を間違えたまま届き続けることがある。
それは、果たして不幸なのだろうか。
正しく伝わることだけが、正しいのだろうか。
そう考えていると、「欲望」というものもまた、希望や失望と背中合わせにあるように思えてくる。
人との会話の端々にこぼれ落ちる小さな虚しさ。
ふと頭をもたげる優越感。
誰にも見せるつもりのなかった欲望。
私は、そうした形のない感情を、あんこをつくる時間の中で丁寧に確かめていたい。
そして、それを自分だけのものにせず、誰かに手渡してみたい。
欲望を言葉にすること。
誰かに差し出すこと。
何かを受け取り、自分の身体に迎え入れること。
そうした小さな行為を通して、私とあなたの間にある「居心地」の違いを知り、その違いを認め合うための勇気を育てたい。
私にとって、自家製あんこをつくることは、食べものをつくることだけではない。
人と人とのあいだにある、言葉になりきらないものを、身体を通して確かめるための時間なのだ。
asamicro
「存在価値」と「欲望」を満たすための行為として。

私の祖母、ヨネコは、神奈川県横須賀市浦賀の漁師を営む両親のもとに生まれた。昭和初期、現在の何倍もの漁獲量を誇った浦賀漁業には、独自の風習があった。毎年12月1日、漁師たちの海上安全を祈願し、海へおはぎを投げるのである。ヨネコは幼い頃から、女たちが総出で仕込む大量のおはぎ作りを手伝って育った。その経験は今も生きており、祝い事やお彼岸のたびに大量のおはぎをこしらえては、近所に配り歩くのが彼女の日課だった。
その後、同じく漁師となった祖父と結婚。30代で自身の店「和風スナック松」を構えた。わずか12席ほどの小料理屋だったが、店は常に客で溢れ、一度として赤字を出すことはなかったという。
浦賀漁業に勤める祖父母の家庭は、商売繁盛高級取りとして裕福でありながらも、漁業組合の会合などの付き合いも多く、支出が嵩む日々だった。そんな状況も相まって祖母の店、和風スナック松では“安月給のサラリーマンでも1,000 円で楽しく飲めて笑顔になれる店” をコンセプトに、お酒と魚のつまみをメインに小料理を出していた。
祖母は「ここは私がつくった世界で、大変だったけどお客さんが笑ってそれぞれ時間を過ごし、またねー と帰ってゆく空間は本当に楽しくて、私の生き甲斐であり心が踊る日々だった」と話した。
のちにこの店は、経営には問題がなかったが、家族との時間を優先する為、泣く泣く閉店させ、祖母も漁師の妻として働いた。


祖母は、店での交流関係を存分に生かして釣り船の集客を成功させた。その手腕は祖父を浦賀漁業組合の組合長にまで押し上げ、夫婦で多大な功績を遺した。一家はそうして築き上げた豊かな生活を送っていた。その後、私の父が生まれるが、私の父は 「あんこは嫌い」、「おはぎは食べられない」と言っていた。そして、家庭の愛を知らないで育ったと私は父から聞いた。
その後、父は母と結婚し私と妹が生まれ四人家族となるが、嫁姑の関係は穏やかなものでは無かった。母は祖母からいじめられていた。そして私の家族は解散した。
祖母は今、祖父が他界した家で独り暮らしている。「仕事が生き甲斐だった。必死に働いた。祖父の酒や女性関係にも耐え抜いてきた」――そう語る彼女の姿はたくましい。しかしその言葉の端々には、かすかな寂しさと後悔が滲んでいるようにも感じられた。私はそんな祖母から、あんこの炊き方とおはぎの作り方を学びに行った。
彼女の生き様や、周囲への過剰なまでのサービス精神。それと引き換えに膨らんでいったであろう「孤独」を、私は無視することができなかった。現在、彼女にとってのおはぎは単なる食べ物ではない。それは自慢の「作品」であり、他者に振る舞うことで得られる交流こそが、彼女の自己肯定感を支え、癒やし、新たな生き甲斐となっているのだ。


この一連の物語に触れ、私は孫として、そしてダンサー・振付家として思考を巡らせる。社会や家族といった枠組みを超え、この世界に生きる一個人の「生き甲斐と孤独」、そして「自然治癒力」について。私は「あんこ」を入り口とした振る舞いを通じて、その本質をパフォーマンスとして表現したいと考えている。
※2024年に記載した内容です。
撮影:前谷開