
のこりもの
かつてあったものが、なくなった事で浮き上がる存在感と、複数と存在している中で不在と扱われる存在感。
そんな繊細な状況に対して、私たちは気付くことも気が付かずに暮らすこともできる。
この世界には知らない間に、時間をかけて静かになくなっている事柄がたくさんある。
今回の作品は【浸食】や【コミュニケーション能力の有無について】などから着想を得た。浸食によって削られる岩肌は柔らかな部分から。
会話において、相手に伝達されない言葉は、か弱い声(音)からと、どちらも強度の低いものから存在を消失しやすい。
環境や相手を丁寧に読み解き、解釈の解像度を引き上げる訓練をすることで、もしかしたら《柔らかな居場所》も残せるのかもしれない。
ジブンと誰かの大切な場所を守る時、音の様な声を聴く時、私たちはどのような身体や感覚でこの地に立っていればいいのだろうか。






吉祥寺ダンスリライトvol.4
Bプログラム egglife
『のこりもの』
出演:asamicro 、山中芽衣 、竹下真歩 、福島頌子 、水戸部春菜 (舞台美術担当)
主催・企画制作:吉祥寺シアター
総合ディレクター:北尾亘 (Baobab)
舞台監督:河内崇/北野ひかり(ステージワークURAK)
照明:中山奈美
照明操作:古矢涼子
音響:相川貴
写真:金子愛帆
Review『のこりもの』 乗越たかお 氏(作家・ヤサぐれ舞踊評論家)
asamicroは、ヒップホップを出自としながら、長い彫琢を経てコンテンポラリー・ダンスでも独自のスタイルを獲得している。この作品は新しい挑戦に満ちたものとなった。
床に敷かれた大きなシートは、黒地に白く太い刷毛を走らせたような曲線が何本も走っている。四人のダンサーは、背中や腕に和毛が生えている水色の衣装を着て靴下はオレンジ色。そぞろに歩き、ガニマタに両腕を広げて身体を平らにしたりする序盤は、はじめ床もダンサーも水流を模しているように見えた。
やがて床の四隅に立つと床のシートが上空に持ち上げられるのだが、四人が立っている1メートル四方のスペースは切り抜かれていて残される。
タイトルの『のこりもの』は「浸食」や「コミュニケーション能力」が発想の元となっているという。浸食もコミュニケーションも、柔らかく微細な部分はどんどん落ちて除かれていく。あとに残るのは固く重く、あるいは大きなものばかりだ。
そういう意味でも床のシートは水流のように見えたのだが、アフタートークでは意外な意図が語られた。
まず舞台美術担当の水戸部春菜はリハーサルから彼女たちの踊りのスケッチをし、採取することができた線を、美術として描いたのだという。そしてasamicroの振り返りによると、演者間で皮膚の感覚器(メルケル盤、マイスナー小体、ルフィニ終末、パチニ小体といった機械的受容器)が持つ固有の役割について話し合い、互いがキャラクターとして表現していく形の稽古を行っていたという。
たしかに冒頭は両腕を上に向けてヒラヒラさせながら、互いにリンクしたりバラバラに動いたりと『はたらく細胞』的な楽しさがあった。またそういう目で見ると、シートに描かれた無数の筋や点は皮膚の拡大図のようにも見える。前半の位置関係は「皮膚の下で活動する感覚器」そのものでもあった。
だが大切なのはモノマネではなく、そういう過程を経てダンサー達に託されたものは何か、ということだろう。
皮膚は、他者を知るためのセンサーであると同時に、他者と自分を隔てている壁でもある。感覚器官は自分という身体の内と外を繋ぐコミュニケーション器官なのだ。
やがて吊り上げられたシートの前部分が垂れ下がる。先ほどは切り取られた四角い断片が「のこりもの」だったが、いまでは4つの四角い穴の空いたシートのほうが「のこりもの」として提示されるのである。
コミュニケーションの道具として、言葉に比べてダンスの使い勝手は良くない。しかしときに言葉では到達できない深さに届くことがある。ダンスというと鍛えられた身体や技術をアピールするものと思われがちだが、「発すること」よりも「受け取ること」に全精力を注ぐダンスだった。
Review『のこりもの』呉宮百合香 氏(アートコーディネーター・舞踊評論)
ふわふわと揺蕩う4人(asamicro、山中芽衣、竹下真歩、福島頌子)がどんな関係性なのかは、終始明示されることがない。所々に柔らかな毛の生えた水色の衣装に身を包み、足元だけオレンジ色の、どことなく儚さがある不思議な生き物。ふわっと爪先から静かに着地する足取りと、ゆらゆらと手足の内旋・外旋を繰り返す姿が印象に残る。重力に反して浮き上がっていく腕が、浮力が働く海の中を思わせもする。
鍵となるのが、水戸部春菜のドローイング作品である。黒地に白のローラーペイントが大胆に施されたこの舞台美術は、はじめは床を構成しているが、やがて天井にも壁にもなる。床に敷かれていたシートが宙へと持ち上がると、かかとを地につけ、浮遊感を減じさせたものへと動きの質が転じていく。4人が居た場所だけきれいに穴が開いたそのシート越しに上方から差し込む光は、まるで海底に差し込む光のようだ。その後シートの一辺が降りてきて、床から天井へ垂直にそびえる壁となる。その時集団は2人ずつ、此方と彼方へと分かたれる。光によって透けた向こう側に、音もスピードもなくした優しい世界が束の間幻出する。
そこからまた全員が、足音が響くこちら側へと戻ってくる頃、関係に静かに変容が生じる。1人(asamicro)と3人の距離がゆっくりと開いていくのだ。冒頭の振付を、今度は足音付きでリフレインする3人の様子を、asamicroは脇で見つめている。そのうち踊りに加わるものの、しばらくすると再び取り残される。とはいえ、そこに冷たさは一切ない。むしろあるのは温かさだ。気づけば3人は遠ざかり、ひとり灯りの中に立つasamicroを元気づけるように、舞台の奥から手を振っている。
変化は目に見えないほど緩やかで、気づけば遠ざかり、かき消えていることもある。けれども、繋がりの残り香はそこに留まり漂い続けている。そんな繊細な世界を、ほんのひと時、そっと覗き込むような体験が創り出されていた。
Review『のこりもの』山本卓卓 氏(劇団「範宙遊泳」主宰・作家・演出家・俳優)
「水色の髭の精霊」
毛根なのかな
なんなのかな
髭剃りシェーバーのじょりじょりじょり
というような音とともに
水色の服を着た精霊みたいな踊り手が現れて
ひとかたまりになったり、はぐれたりしながら
これまた謎めいた舞台上に敷かれたグレーの巨大なシート(Threadsのアイコンみたいな模様が折り重なって描かれている)の上で
4人いたな、4人の人が
4隅に立ったかと思うと
そのシートが上に吊り上がった
ああ精霊たちがシートと一緒に天に連れて行かれてしまう!
と思ったのだけれど
そのシートには穴があいていて、だからシートだけが上に昇り
精霊たちは地面に取り残された
なんのこっちゃい
終始笑ってしまいそうな、けれども笑ってしまうと壊れてしまいそうな
満月を見て「うさぎがいるよ」と言う人を笑うのはなんか不純な気がする
というような
愛おしさに近い感情で一挙手一投足の瑞々しさに満ちた水色の踊りの曲線をみつめた
亜麻色の髪の乙女っていう歌があるけど
なんだろう
シェーバーの音がしたんだよ確かに
それで4人のうちのひとりがさよならって感じで手を振って
ほかの3人は全力の笑顔で見送ってた
乙女っていうのはなんか失礼な気がするから
水色の髭の精霊ってあの人たちのことを呼ぶ
心の中でずっとそう呼んでる。毛根だったのかな、いま、朝。わたし、シェーバーで髭剃りながら。
靴下は赤かったな。振り返ったら、その赤とともに、あの精霊たち、家にいてほしい。